ゆきれぽ

2025年10月29日

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『熟柿』

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柿の美味しい季節になりましたね。今日は、そんな柿の季節にオススメの小説をご紹介します。

『熟柿』
佐藤正午
株式会社KADOKAWA

タイトルの熟柿は「じゅくし」と読みます。「熟した柿の実が自然に落ちるのを待つように、気長に時機が来るのを待つこと」という意味だそうです。

本の表紙には、まさに熟して落ちたであろう柿の実があります。柿があるのは表紙の真ん中ではなく、下のほうです。タイトルや著者の名前も下にあり、表紙は真っ白なので、シンプルながらも目を引きます。

著者の佐藤正午さんは、『月の満ち欠け』で直木賞を受賞された直木賞作家です。また、映画化された『鳩の撃退法』も人気ですよね。映画は富山でも撮影されましたので、ご覧になった方も多いのでは?

『熟柿』は、今年3月に発売された今年話題の一冊です。第20回中央公論文芸賞を受賞したほか、本の雑誌が選ぶ2025年度上半期ベスト10では1位に選ばれたそうです。おめでとうございます!

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物語は2008年の秋から2025年までの17年間が12の章で紡がれています。主人公は妊婦の「かおり」です。彼女は激しい雨の降る夜に車を運転中、老婆をはね、罪に問われてしまいます。かおりは刑務所内で息子を出産するのですが、息子とはすぐに離れ離れに。その後、夫とは離婚し息子は夫が引き取ります。しかし出所後どうしても息子に会いたくなってしまったかおりは、園児連れ去り事件を起こし、息子との接見を禁じられてしまいます。かおりはその後、居場所を転々とし、さまざまな仕事をしていきます。

人生を踏み外したかおりが、どんな人生を送り、どんな人たちに会い、最後、物語がどう着地するのかは、ぜひご自身で確かめください。

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かおりは、どこにでもいる普通の女性でした。そんな彼女が取り返しのつかない過ちを犯してしまったわけですが、小説の場合、現実世界と違って、読者はその時の状況はもちろん、主人公がどんな心理状況だったかを知ることができます。もちろん、かおりのしたことは許されません。でも、この事故を短いニュースで知るのとはだいぶ印象が異なるのではないかと思います。私は本を読みながら「もし私がかおりだったら」という考えがずっと頭の中にあって、他人事とは思えませんでした。

読書には色々な楽しみ方がありますが、「自分とは関係ないこと」と深く向き合うことができるのも読書の面白さのひとつだと思います。極端な言い方をすれば、読書は自分の知らない人の話を延々と聞くようなものです。でも、プロの作家さんの文章は退屈どころか、もっと話を聞きたいと思えてくるのです。そして、他人の話なのに気付けば自分の物語のような気がしてきます。この物語もそうでした。

丁寧に紡がれたかおりの17年を、あなたもじっくり追ってみてください。

私は読み終えて本を閉じた時、表紙の柿と「熟柿」の言葉の意味がより心に響きました。それから、私も車を運転するので、あらためて安全運転につとめようと心から思いました。

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