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9月20日 gra書パート2

2011年9月20日

「gra書」 書家エピソード VO.24 貫名菘翁1778(安永7)-1863(文久3)

ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
先々週から3週にわたって、「幕末の三筆」をご紹介しています。
ここまで巻菱湖、市河米庵とご紹介しましたが、今日は最後の1人、貫名菘翁(ぬきなすうおう)をご紹介します。

徳島藩の武士の家に生まれた菘翁は、儒学、経学(けいがく)、史学(しがく)を学んで、徳島から京都に移り住んだときは、書道塾ではなく、朱子学などの学問の塾を開いて教鞭をとりました。
また、文人のたしなみとされる漢詩、水墨画、書道の3つを行っていて、水墨画は当時の一流画家と交流を持ちながら絵の技術を体得していったといわれています。

書道に関しては、まず空海の書を学んで、そのあとは、楷書については歐陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿を学び、行書は王羲之や褚遂良、草書は孫過庭に影響を受けたとされています。

この菘翁は、学問を重んじる人でしたので、書道に関しても、きちんと昔の名品から学び取ることを基本としていました。
ですので、様々な作品を同じように書く「臨書」を数多く残しています。有名なところでは、王羲市の「蘭亭叙」や褚遂良の「枯樹賦(こじゅのふ)」といったところがあります。
そのほかの臨書も含めて、貫名菘翁の臨書集がつくられるほど、菘翁の臨書は有名な物になっています。
そして、菘翁の作品ですが、こちらは、行書や草書が混じった、行草作品が多く残されています。
年齢が若いころは、文字に墨がいきわたった、潤いのある文字を書いていたのですが、歳を経るごとに、少しずつ枯れた雰囲気の文字を書くようになっていきました。
しかし、そこから独特の筆使いが文字にも表れるようになって、それが菘翁の文字の特徴にもなっていきました。
そして、80代を過ぎると中風を患うようになりましたが、その状況の中で書かれた作品は、さらに味わい深いものになっています。

菘翁の作品で有名な物といいますと、「白玉井の銘(しらたまいのめい)」があります。
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これは、京都の左京区にあったとされる名水「白玉井」のために作った銘文です。
本物は京都に残されていまして、木の箱に入れられた冊子本に仕上げられています。
なおこの作品は、絹布と呼ばれる絹で織られた布に書かれているものです。
以前このコーナーで紹介した、王羲市の「蘭亭序」もやはり絹布に書かれていましたが、王羲之へのオマージュなのでしょうか。
そしてもう1つ有名なのが「左繍叙(さしゅうのじょ)」です。
img_0598.jpg

こちらは、菘翁自身が出版した「左繍」という本の冒頭部分の文章で、菘翁の書の作品を勉強するうえでいちばん有名なのがこちらです。
そのほかにも、掛け軸に書かれた作品や屏風仕立ての作品が数多く残されています。
ただ、この菘翁によく似た字を書いた、貫名海堂(かいどう)という書家がいて、よく間違えられるそうで、この海堂について何者なのか、という調査も行われているということです。

takanobu827 9:31 am