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8月9日 gra書パート2

2011年8月9日

「gra書」 書家エピソード VO.18 沢田東江1732(享保17)-1796(寛政8)

ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
18回目の今回は、沢田東江(さわだとうこう)についてご紹介します。

この沢田東江は、先週ご紹介した亀田鵬斎より少し前に活躍した、書家であり、学者であり、洒落本(しゃれぼん)の作者でもあります。
洒落本というのは、江戸時代にはやった物語のジャンルの1つで、当時の遊郭などを舞台に、遊郭遊びのガイド的な内容や、遊女と客との恋愛話などが書かれたものです。
沢田東江自身は「異素六帖(いそろくじょう)」という本の作者で有名です。
この本では、僧侶と歌の学者、儒学者の3人が集まって、吉原の遊郭について面白おかしく論じています。
 
一方書の方は、若いころからたしなんでいて、20代前半で、いわゆる書道の先生について勉強して、幕府からの要請で文字を書いたり、文人画家との交流から監視と併せて作品を書いたりしていて、当時学者としても活動していたこともあって、江戸でも人気の書家であり学者となりました。
しかし、1767年に起きた明和(めいわ)事件、これは、当時江戸幕府の転覆を狙う動きがあったために、これにかかわった人たちを処罰した事件ですが、これにかかわった疑いをかけられます。
結局無罪放免となりましたが、学者として生計を立てることができなくなったために、書家としての活動を本格化させました。

そののちに、沢田東江は、「東江流(とうこうりゅう)」という書道の派閥を形成して、江戸の書道に1つのムーヴメントを巻き起こしました。
この「東江流」というのは、当時流行していた、中国の明や清の時代の書道ではなく、以前このコーナーでも紹介した王羲之など、昔から書道のお手本とされていたものをしっかり学ぼうという書道の考え方です。 この考えについて、東江はこんな言葉を残しています。

「書法を知らぬ者の作った字は読めないが、書法を知った者の字はそれが狂体であろうと、張旭(ちょうきょく)、懐素(かいそ)のように読むことがかなう」

基本を学んでいない人の字はどうやっても読めないが、基本を学んでいる人の字であれば、それが、張旭や懐素のように暴れたような文字であっても読むことができる。
だから、古いものを学んで基礎を身につけることは大切なんだ、ということです。
さて、この沢田東江の書ですが、行書や草書を中心にした作品が残されています。
img_0445.jpg  img_0446.jpg

先ほども触れましたが、昔のいいもの、古典をしっかり学ぼうということを唱えていたこともありまして、文字を見ると、流行りの文字っぽくない、素朴な印象を受けます。
ですが、この素朴さが、東江流の本筋なんでしょうね。
あと、以前「gra書」で紹介した「孔子廟堂碑」の臨書、まねて書いたものも残されています。きちんと楷書も学びましょう、というのを自らの書で示した形ですね。

 

takanobu827 8:51 am