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6月21日 gra書 パート2

2011年6月21日

「gra書」 書家エピソード VO.11 智永(ちえい) 生没年不明

ここからは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。
11回目の今回は、「智永」です。智は、物知りの知るの下に日を書く方の智で、永は、永久の永です。
本職は僧侶です。中国の浙江省にあった永欣寺(えいきんじ)に勤めていましたが、中国が南北朝時代から隋に変わると、長安にある西明寺に移り住んだと伝えられています。
この智永は、かの王羲之の子孫に当たります。王羲之の7代目の子孫がこの智永で、彼自の本名は、王法極(おうほうぎょく)です。
智永が、永欣寺でお勤めをしていたころのエピソードが残されています。
この永欣寺の一室に智永は30年間閉じこもって、ひたすら先祖の王羲之の書の修行をしていました。その結果、修行中に使い古しとなった筆が、竹でできた大きなかご5杯もたまったので、その筆を埋めて「退筆塚」を建てて供養したということです。
また、この智永の書があまりにも評判が高かったため、連日多くの人が彼の書を求めて寺を訪れました。そのために、智永の部屋の敷居がすり減るほどになってしまいました。そこで、敷居を鉄板で補強して擦り減らないようにしたそうです。
さて、この智永の代表的な書の作品に、「真草千字文」があります。真実の真に草、そして、漢数字の千に文字の字、文章の文で、真草千字文です。
まず、千字文とは何ぞやからご紹介しましょう。この千字文は、4つの文字で1つの句を構成して、その句が250ある、四言古詩(しごんこし)、漢詩です。で、この千字文は、漢字が1000あるにもかかわらず、同じ文字が2つ使われることがない漢詩です。そのことから、古来中国では、漢字の勉強をするときのテキストとされてきました。日本には、奈良時代にはすでに伝わったという記録が残されています。そして、この千字文は、王羲之が書いたとされる文字の中から1000字を集めて作られて、唐の時代には、書道を習う手本の1つとして親しまれています。ですので、唐の時代以降、様々な書家が、この千字文を書いています。
そして、智永の書いた真草千字文ですが、きちんとした千字文ができて間もないころに臨書、まねて書いたもので、彼が書いたとされるものは800本あるといわれています。この800本は、先ほどお話した、永欣寺で30年間こもっていたころに書かれたもので、様々な方面に配られました。その中の一部は日本にもわたりましたが、智永が筆で描いた肉筆は、現在世界に1つしかないそうです。そして、真草千字文ということで、真、楷書と草、草書で1000字ずつ書かれています。

adhaeue.jpg 同じ文字を、右側には楷書で、左側には草書で書かれています。 
 なお、中身ですが、天文や地理、政治、経済、社会、歴史、倫理などの森羅万象について述べられています。

takanobu827 8:54 am