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4月12日 gra書 パート2

2011年4月12日

ここでは、毎回1人の書家をピックアップして、様々なエピソードを紹介します。

今回紹介するのは、「王羲之(おうぎし)」です。

書道塾にしばらく通っていたという人でも、1回は耳にしたことがある名前ではないでしょうか。書道を勉強するうえで、絶対に外せない、「KING OF 書家」といえるのが、この王羲之です。

なぜキングなのか?といいますと、この王羲之が残したとされる字が、1600年以上たった今でも、書道の最も基本的なお手本となっているからです。あまりにも美しい文字、ということで、のちの中国の貴族に大変好まれました。特に、中国の唐の時代を収めていた皇帝「太宗(たいそう)」は、王羲之の文字を自分の墓の中に入れて一緒に葬ってほしい、と頼んだエピソードも残されています。

さて、この王羲之、職業・書家ではありません。本当の職業は、中国のお役人さんでした。彼は子供のころから字が上手で、役所の仕事の傍らで、赴任地の名士たちと書を通じて交流していました。

そんな交流の中で生まれたのが、王羲之が書いたとされる文字の中でも最も有名な「蘭亭序(らんていのじょ)」です。これは、中国の「蘭亭」と呼ばれる庭園で曲水の宴を行ったときに書きあげられたものとされています。富山市婦中町で毎年行われているあれです。くねくねとした川の上にお酒を入れた盃を浮かべて、自分のところにその盃がくる前に詩を読み上げるという、雅なお遊びです。ちなみに、蘭亭で行われた宴では、詩ができなかった人は、罰ゲームでそのお酒を飲まなくてはいけなかったそうです。

この「蘭亭序」で王羲之は、楽しいはずの宴であるにもかかわらず、「人が生きていくうえで、1人1人価値観は違うし、歳をとるにつれて好みも変わるし感情も出るし、どうもこうも人生というのはままならないもんだね。でもね、結局のところ、姿勢が最も大きな問題なんだよ」と、今でいうオヤジの説教のようなものを書き記しています。宴の中でお酒を飲んで酔っていたこともあるかもしれませんが、なんでまたこんなことを書いたのでしょうかね。無情さを感じたのでしょうか。

名筆と呼ばれるものの裏には、意外となーんだ、という内容が書かれていたりもします。現在お習字を習っている方は、塾の先生に、王羲之について聞いてみてくだ差。たくさん話を聞くことができると思います。

ただし、ここで1つ残念なお話があります。「KING OF 書家」と呼ばれているこの王羲之、実は、彼が書いた本物の文字が、全く残っていません。今伝えられているのは、彼が書いたとされる文字を石に刻んだものや、彼が書いたとされる文字を模倣したものばかりです。なお、王羲之に関するエピソードは、ほかにもありますので、別の機会にまたお話ししたいと思います。

takanobu827 9:20 am