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[「義仲・巴」ラジオ紀行]

■ 「義仲・巴」ラジオ紀行  2019年8月放送 ■


#19「富山県小矢部市」【2019.8.6放送】

小矢部市埴生(はにゅう)地区。
この地には平安時代末期、義仲が平家の大軍に挑んだ
「倶利伽羅峠の戦い」に先立ち、戦勝を祈願したとされる
埴生護国八幡宮が鎮座します。
古くから、「木曾義仲ゆかりの地」として、
人々は地元の英雄である義仲の顕彰活動に熱心に取り組んできました。
なかでも、毎年8月に開催される「源平埴生まつり」は、
義仲にちなんだ様々なイベントをとおして、子どもからお年寄りまで、
世代を越えた人々が集うコミュニケーションの場として、
また将来を担う子どもたちが地元の歴史を学びながら、
夏休みの楽しい思い出をつくる場として、地域の活性化、
賑わいづくりにも貢献しています。
8回目となる今回は、今週末10日の土曜日、会場は埴生護国八幡宮隣の
「倶利伽羅源平の郷 埴生口」で開催されます。
午後6時頃からスタートするステージイベントでは、
義仲太鼓と踊りが披露されるほか、のど自慢大会、
さらにはシンガーソングライター北村瞳さんによるミニライブも開催されます。
また、射的や輪投げといった屋台コーナー、飲食ブースも充実するなど
盛りだくさんの内容です。
夏の暑い夜のひとときに、源平ロマンを感じてみてはいかがでしょうか。
「源平埴生まつり」へのお越しをお待ちしております!

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#20「長野県木曽町」【2019.8.13放送】

長野県の南西部に位置する木曽町日義(ひよし)地区。
「日義」という地名は、「朝日将軍 木曾義仲」の朝日の「日」と
義仲の「義」の2文字にちなんで名付けられたものといわれています。
ここ日義地区の国道付近にある「旗挙八幡宮」は、
このあたりの平地に館を構え、八幡宮を祀った義仲が、
西暦1180年、後白河法皇の皇子である以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)のもと、
1千騎余りの兵を従え、打倒平家の旗挙げと戦勝祈願を行ったことが、
その名の由来とされています。
また、社殿の傍らにある大きな欅の木は、樹齢約800年と推定され、
義仲が元服した13歳の時に植えられたものではないかと伝えられています。
長い年月を経て、落雷や台風などによって傷つきながらも、今なお、
御神木として生き続けているその姿は、波乱万丈の武将の生き様を
物語っているようにも思われます。
明日8月14日には、義仲を偲んで「木曽義仲 旗挙げまつり」が開催されます。
地元の伝統行事をはじめイベントも盛りだくさんで、毎年、多くの町民で賑わうお祭りです。
立身出世のご利益がある場所として、
現在も多くの人々が訪れる旗挙八幡宮、若き日の義仲、
そして巴御前の姿を感じることができる日義地区に、皆さんぜひお越しください。

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#21「富山県南砺市」【2019.8.20放送】

今回は、南砺市福光の福光城趾「栖霞園(せいかえん)」をご紹介します。
平安時代末期、越中武士団「石黒党」を率い、現在の富山県西部、
南砺市から高岡市にかけた一帯を治めていた石黒光弘。
光弘は、義仲による打倒平家の呼びかけに応じて義仲軍を先導し、
「倶利伽羅峠の戦い」において、その勝利に大きく貢献します。
また、義仲亡き後、巴御前が、現在の南砺市福光で生涯を過ごしたと
いわれていますが、その際、倶利伽羅峠で共に戦った光弘を頼って、
この地を訪れたということでも広く知られています。
この石黒光弘が築いた「福光城」は、周辺が城下町として繁栄するなど、
約300年に渡って、石黒氏の居城として栄えますが、
一向宗徒との争いに敗れた後、しばらくの間、荒れ放題となってしまいます。
しかし、江戸時代になってから、地元の文化人らの手により、
城があった場所の一角に小さな東屋(あずまや)が建てられ、
そこで詩や歌を詠むようになります。
これが栖霞園の始まりとされており、その後、金沢の茶人の指揮のもと、
新たに建築され、幾度かの改修を経て今の姿になりました。
現在は、市の指定文化財として大切に管理されるとともに、
定期的にお茶会が催されるなど、地元の人々に愛される、憩いの場となっています。


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#22「富山県小矢部市」【2019.8.27放送】

越中武士、蟹谷次郎(かんだのじろう)。
彼は、義仲の生涯で最大の戦いといわれる
「倶利伽羅峠の戦い」の勝利に大きく貢献しました。
その武勇を讃えて、倶利伽羅山頂付近には地元の有志らにより建てられた「蟹谷次郎碑」が残されています。
蟹谷次郎は、平安時代末期、現在の富山県小矢部市と南砺市周辺を治める越中武士団の一人で、
源平争乱のなか、義仲の呼びかけに応じて、打倒平家に加わります。
平家との決戦を前に、越中の地理に不案内だった義仲は、
地元越中の武士である蟹谷次郎に軍の先導を命じます。
倶利伽羅峠特有の複雑な地形に大変詳しかった次郎は、
率先して道の案内役を務め、義仲軍を大勝利に導きました。
戦いに勝利した次郎の家臣たちは、
祝いの席で勝利を祝う「勝鬨(かちどき)太鼓」=[勇壮に打ち鳴らす太鼓] を披露します。
この太鼓は、後に「源氏太鼓」として、小矢部市の無形民俗文化財に指定されるなど、
現在まで受け継がれ、次郎が移り住んだとされる下後亟(しもごぜ)では、
毎年9月10日の下後亟神明宮(しもごぜしんめいぐう)の神事として、今も披露されています。
もしも、蟹谷次郎が義仲に味方していなかったら、
義仲軍は都にたどり着くことができなかったかもしれません。
「蟹谷次郎碑」からは、当時の激しい戦いの様子や勝利に歓喜した次郎の心が伝わってきます。


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