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シーズンⅡ「巴御前」第6話「義仲が愛した女性たち」の巻(2020年9月8日・放送)

2020年9月8日

 

美男子だったとして記録が残っている、木曾義仲。

とてもモテモテな人生を過ごしたのではないでしょうか。

今回は、義仲が愛した4名の女性についてご紹介します。

 

このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。

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源平盛衰記に、美男子として描かれている「木曾義仲」

強くて美男子。

まさに、義仲は現在のイケメン的存在であり、女性にモテモテだったのであります。

 

義仲の最愛の女性は、ご存知、「巴御前」。

色白で、髪が長く、とても美しい女性であったことが「平家物語」に記されています。

しかし、しかーし、義仲には、巴御前の他にも、たくさんの女性がそばにいたのです。

 

 

 

その一人が、葵御前。

信濃国は栗田寺別当(くりたじのべっとう)、範覚(はんがく)の娘と伝わっています。

巴御前と同じく、葵御前も女武者として平家との戦いに参加しておりました。

しかし、倶利伽羅峠の戦いにおいて、激戦の果てに、命を落としてしまいます。

 

(義仲)「葵、お前の命。決して無駄にはせぬぞ…」

 

葵御前の死を悲しんだ義仲、葵のために、倶利伽羅峠の麓に塚を築き、供養したと伝えられています。

 

 

 

さて、山吹御前も、義仲のそばにいた女性の一人。

山吹御前は「平家物語」にのみ記されている女性で、信濃国から京の都まで行動をともにしたとのこと。

鎌倉の軍勢に攻められた義仲が京を脱出した際、山吹は京に残り、亡くなった。

いやいや、そうではなく、山吹が義仲の後を追って、現在の滋賀県大津市までたどり着き、しかし、義仲には会えず、敵に討ち取られた。

諸説あるようでございます。

 

 

 

そして、正室と伝わる藤原伊子(ふじわらのいし)。

義仲が京の都で娶った幼い妻。

義仲は、伊子をとても大事にしたそうであります。

伊子は、義仲が討ち死にした後、再び公家(くげ)の妻となり、子供を授かります。

この子供が、後に永平寺を開き、曹洞宗の開祖となる道元でございます。

 

 

 

戦いや病で亡くなった葵御前と山吹御前。

一方、巴御前は激動の鎌倉時代を、ただひたすら、義仲の菩提を弔いながら、91歳まで生き抜きました。

四者四様の愛情。

その全てを受け入れた義仲。

懐の深~い、魅力的な人物であったことを物語っているのではないでしょうか。

 

<おわり>

ラジオ紙芝居 スタッフ 3:30 PM