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第6話「義仲、越中へ」の巻(2019年9月10日・放送)

2019年9月10日

 

今回のお話は、平家を打ち倒し、新しい国をつくろう!と

木曾義仲に味方する武将が多く集まり、拡大していく義仲の勢力が

越中・現在の富山県へと進軍していくお話です・・・

 

このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。

 

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挙兵した義仲の快進撃。

これに勇気づけられたのが、平家に苦しめられてきた北陸の武士団。

 

(武士団)「義仲に味方して、平家を打ち倒し、新しい国をつくろう!」

 

このような思いで、義仲に味方する武将が多く集まってきました。

拡大していく義仲の勢力。

しかし、これに恐れを抱いたのが源頼朝。

なんと、突如として、信濃国、現在の長野県に侵攻してきたのであります。

 

 

(義仲)「よ、頼朝め! 今は源氏同士、力をあわせて平家を撃ち破らなくてはならないのに」

 

頼朝と戦うことも考えた義仲でしたが、信濃国が戦乱に巻き込まれ、その隙に平家がますます力をつけることを避けるため、和平を結ぶ決断をします。

そのために、まだ十二歳の息子、義高を人質として頼朝のもとに送ることとなりました。

 

(義仲)「義高、わしは平家をいち早く打ち倒し、お前を迎えにいくからな! それまでの辛抱じゃ!」

 

(義高)「はい、父上。必ずや平家を打ち倒してください。それまで、しばしのお別れでございます」

 

 

さて、この頃、越中国、現在の富山県の朝日町には、打倒平家を訴えた以仁王の皇子 北陸宮がおりました。

義仲は、北陸宮を保護し、平家追討の大義名分を得たのであります。

これにより、さらに膨れ上がる義仲軍。

対する平家、北陸道へ大軍を派遣しました。

 

 

越中で激突することとなった両軍。

義仲は、まず、今井兼平を送り込むことにいたしました。

兼平は親不知の難所を通り、一気に越中国を駆け抜け、白鳥山、現在の富山市呉羽山を占拠。

西から侵攻してきた平家軍の先鋒は、白鳥山に源氏の白旗が立っているのを見て、いったん退却することを決意します。

 

 

その様子を見た兼平。

 

(兼平)「今が好機じゃ! 一気に押し込め!」

(人馬)「うおー、行くぞー、ひひーん、どどどどどー」

 

現在の高岡市常国、般若野の地で激しい戦いが繰り広げられました。

勇猛に戦う兼平軍、押しに押して平家の陣営を倶利伽羅峠まで押し返すことに成功。

今井兼平、大勝利であります。

そして、ここに大将義仲も合流。

あの有名な倶利伽羅峠の戦いの下地は整ったのでございます。

 

<おわり>

ラジオ紙芝居 スタッフ 3:30 PM

第5話「義仲、挙兵」の巻(2019年8月13日・放送)

2019年8月13日

いよいよ、木曾義仲の戦いがはじまります。

さて、どのような戦いをしていたのかをご紹介します。

 

このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。

 

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平家一門の繁栄のかたわら、庶民の暮らしは、ますます悪くなる一方。

そんな中、後白河法皇の皇子 以仁王は、平家を打ち倒すことを促す命令書「令旨」を

全国の源氏に配りました。

鎌倉にいた源頼朝、そして、信濃国にいた木曾義仲のもとにも、

その令旨が届いたのであります。

 

 

(義仲)「国を正し、庶民の暮らしを守るため。今がその時!」

 

 

治承四年、1180年9月、義仲は信濃国の豪族に呼びかけ、ついに挙兵。

集まった兵は一千騎。

中原兼遠の子 樋口兼光、今井兼平、そして、巴御前も鎧を着用し、薙刀を手にして、

義仲のそばに立っておりました。

 

(檄をとばす義仲)「今こそ、平家を討つぞ!」

 

(応える武将たち)「おおう!」

 

力強い鬨の声が木曽谷にこだましました。

 

 

こうして立ち上がった義仲軍。

幸先よく初戦を制し、その武勇が評判を呼び、義仲に味方する武将が増えてまいりました。

これに危機感を覚えたのが越後国の城氏。

大軍をもって信濃国に攻め込んできたのであります。

倍以上の敵を前に、横田河原に布陣した義仲軍。

果たして勝敗はいかに?

 

ここで一計を案じた義仲。

井上九郎光盛に、こう命じました。

 

(義仲)「平家の赤い旗をもち、城氏の本陣のうしろから近づけ!」

 

光盛は、義仲の命令どおり、赤い旗をかかげ、平家軍を装い、城氏の本陣に

近づいていきました。

 

 

(城氏の兵)「おー、味方が来たぞ! これで我ら城氏の勝利は間違いない!」

 

と、その時、

 

ドサッ、バサッ、シャキーン

 

光盛は赤い旗をうち捨て、源氏の白旗をかかげ、刀を抜いたかと思うと、

敵の本陣に駆け込んでいったのであります。

 

 

(義仲軍)「うおー うおー 我らは義仲軍だー!」

 

一斉に攻め込む義仲軍。

 

(城軍)「うわー、なんだ? なんだー? なんてこったー!」

「味方ではない! 敵だ、敵だー!」「逃げろ、逃げろー」

 

すっかり混乱した城氏の軍勢。

なすすべもなく、越後国へと逃がれていきました。

 

大軍を、わずかな兵力で見事打ち破った木曾義仲。

彼の戦いの人生は、こうして幕を開けたのであります。

 

< おわり >

ラジオ紙芝居 スタッフ 3:30 PM

第4話「駒王丸から木曾義仲へ」の巻(2019年7月9日・放送)

2019年7月9日

中原兼遠の庇護のもと、すくすくと成長した駒王丸。
兼遠の娘である、後の巴御前との出会い、
木曾義仲を名乗るまでの出来事についてご紹介します。

 

このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。

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「わー、待てー。次郎ー、四郎ー。ハハハハハ」

 

父を殺され、木曽にたどり着いた駒王丸。

中原兼遠の庇護のもと、すくすくと成長していきました。

 

 

兼遠の息子である次郎、四郎とともに、山をかけまわったり、川で泳いだり。

木曽の豊かな自然が、駒王丸を強くたくましく育てていったのであります。

 

 

(鳥のさえずり)「ぴーちく、ちゅんちゅん・・・・・」

 

駒王丸「よし、今日はあの丘まで競争だ!

一番先にあの丘の木にたどり着いた者が勝ちじゃ」

次郎「わしが一番じゃ!」

四郎「なんの、わしも負けないぞ!」

巴「待って! わたくしも一緒に走ります!」

 

ここに登場した娘、巴。後の巴御前。

 

 

兼遠の娘であり、駒王丸、次郎、四郎の遊び仲間として、

いつも一緒に野山を駆け回っておりました。

 

 

この頃、京の都では「保元の乱」「平治の乱」が起こり、

源義朝は討ち死に、そして源頼朝は流罪に。

源氏の勢力が衰える世の中となっていました。

 

 

しかし、これに流されなかった兼遠。

源氏の由緒ある血筋の駒王丸が、将来、源氏の大将となるように、英才教育を施します。

駒王丸は兼遠の期待に応え、武芸を磨き、学問に励んだのであります。

 

 

そして、13歳になった駒王丸。

兼遠に、こう告げられました。

 

兼遠「駒王丸殿。13といえば、一人前になったと同じじゃ。

わしが烏帽子親となり、駒王丸殿の元服の儀を行いたいと思う」

 

駒王丸「ありがたき幸せに存じまする」

 

京にある源氏一門の氏神、石清水八幡宮。

木曽から遠いこの場所での元服は、並々ならぬ決意と期待の表れでございましょう。

 

 

厳粛な雰囲気の中、元服の儀が執り行われ、

駒王丸は「木曾冠者次郎源義仲」を名乗るようになりました。

木曾義仲誕生の瞬間でございます。

 

 

 

さて、この頃、我が世の春を謳歌していたのが平清盛を中心とした平家一門。

 

平時忠「平家にあらずんば人にあらず」

 

このような驕った発言をする者まで現れる始末。

しかし、平家が栄華を極める一方、庶民は飢えに苦しんでおりました。

 

「生きるのも辛い。誰か平家を倒してくれないじゃろうか」

 

新しい世の中を望む気持ちが庶民の間にも広がり始めます。

このことが、後に、木曾義仲が活躍する「源平合戦」へとつながっていくのでございます。

 

<おわり>

ラジオ紙芝居 スタッフ 3:30 PM

第3話「駒王丸、木曽へ」の巻(2019年6月11日・放送)

2019年6月11日

 

今回は、後の木曾義仲、駒王丸がなぜ木曽へと行くことになったのか

についてお話します。

あの出来事がなければ、後の木曾義仲、そしてこの番組もなかったかもしれません・・・

 

このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。

 

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後の木曾義仲、駒王丸が二歳のときのこと。

駒王丸の父 源義賢と、義賢の兄 源義朝の間で、板東の地をめぐり、

勢力争いが起こりました。

源氏一族、しかも兄弟同士の争いであります。

義朝は自分の息子、悪源太義平をつかわし、義賢の館を襲撃します。

 

「うお、ぐお、ぐぬぬ。あ、悪源太め。…無念」

 

無防備であった義賢はあっさりと討ち取られてしまったのでございます。

 

 

「駒王丸はどこにおる。生かしておいては後々のためにならぬ。

見つけ出して殺してしまえ!」

 

義平は家臣の畠山重能に命じます。

そして駒王丸を見つけ出した重能。

絶体絶命の駒王丸。

果たして命運は尽きてしまうのか。

太刀を振り下ろそうとした、その刹那……

 

 

「ダ、ダメじゃ。ワシに二歳の子供を殺すことはできぬ」

 

思わず駒王丸を助け出してしまった畠山重能。

しかし、主の命令に背くこともできません。

困った重能、同僚の斎藤実盛に相談したところ。

 

「それではワシが信濃国に落とそう」

 

実盛は、駒王丸を義朝・義平の勢力の及ばない信濃国へ逃すことにいたしました。

 

 

当時二歳の駒王丸は母、小枝御前とともに、いくつもの山を越え、信濃国の木曽にたどり着きました。

懐に駒王丸を抱いた小枝御前、屋敷の門をくぐりますと。

そこには堂々たる偉丈夫の中原兼遠が立っておりました。

 

 

「兼遠さま、どうか、どうか、この駒王丸を頼み申します」

 

「安心なされよ、小枝殿。この和子(わこ)こそは源氏の由緒ある血筋をひくお方。

お迎えするのは、我ら信濃衆にとってもたいへんな栄誉でありますぞ」

 

兼遠は駒王丸一行を屋敷の奥へと招き入れました。

屋敷を案内する兼遠の背中。

駒王丸はそこに父 義賢を重ね合わせておりました。

 

かくして、駒王丸は信濃国の権守 中原兼遠に庇護され、幼少期・青年期を木曽で過ごすことになったのでございます。

 

< おわり >

 

ラジオ紙芝居 スタッフ 3:30 PM

第2話「駒王丸誕生」の巻(2019年5月14日・放送)

2019年5月14日


木曽義仲は、現在の埼玉県出身ってご存知でしたか?
今回は木曽義仲の誕生・どのような家系出身なのかについてご紹介します。

 

このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。

 

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時は久寿元年、1154年。

武蔵野国にある大蔵館。

 

「どどどどど、どどど(廊下を走り回る音)」

 

「小枝(さえ)、小枝はどこじゃ」

 

「どどどどど、どどど(廊下を走り回る音)」

 

大声をあげて、屋敷の廊下を男が走り回っております。

この男、大蔵館の主、源義賢。

 

 

さて、源義賢。どのような人物かと申しますと。

源氏の嫡流、源為義を父に持っておりまして、兄には源義朝。

この兄の子が、後に鎌倉幕府を開く、ご存じ源頼朝。

つまり義賢は源頼朝のおじさん、ということになります。

 

そのような由緒正しき男が、いったい何を慌てているのでしょうか?

 

 

「小枝(さえ)、小枝はどこじゃ」

 

義賢の声に驚いて、奥の間から飛び出してくる侍女。

 

「ああ、と、殿。こちらです。奥方様はこ、こちらに」

 

義賢が侍女の手招きする部屋に近づくと、中から赤ん坊の泣き声が聞こえてまいります。

 

「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ(赤子の声)」

 

 

部屋に入ると、割れんばかりの大声をあげてわんわんと泣きさけぶ赤ん坊。

その赤ん坊を抱いているのは、義賢の奥方、小枝御前であります。

 

「あっ、殿……」

 

義賢は小枝御前のそばにかけ寄り、どすんと腰をおろします。

 

「でかしたぞ、小枝。おお、元気な男の子ではないか。よく泣きよるわ」

 

「ええ、殿に似て、とてもやんちゃそうな子ですよ」

 

「はっはっは。そうか、やんちゃか」

 

 

「殿、この子の名前、考えていただきましたか」

 

「おお、名前な。先に決めておいたのだが、駒王丸はどうじゃ」

 

「ああ、駒王丸」

 

「そうだ。駒のように力強く、気高く……

そう、御嶽山の凛々しさを受け継ぐことを願って考えた名前じゃ」

 

「駒王丸、駒王丸。素晴らしいお名前です……」

かくして、駒王丸と名付けられた義賢の次男。

源氏の嫡流に連なるこの駒王丸の運命やいかに?

 

< おわり >

ラジオ紙芝居 スタッフ 3:45 PM

第1話「倶利伽羅峠の戦い」の巻(2019年4月9日・放送)

2019年4月11日

 

初回の放送は、木曾義仲と巴御前の2人が活躍した「倶利伽羅峠の戦い」について
ご紹介しました。

このブログでも、絵とともにお話をご紹介します。

 

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時は寿永二年、1183年、5月。

越中礪波山(となみやま)の頂に立つのは、かの有名な武将、木曾義仲。

 

「はっ、はっはっは。はっ、はっはっは。やった、やったぞ! はっはっはっは」

(腹の奥底から響いてくるような不気味な笑い声)

 

不気味な笑い声が倶利伽羅の谷をこだまするのでございます。

 

そして、義仲の瞳に映し出されるのは、夥しい数の平家軍のなきがら。

眼下に広がる谷を埋め尽くす、死体の数々。

漆黒の闇の中、目をこらすと、谷底には人馬が折り重なり、

うめき声や悲鳴が地を這うように鳴り響いているのであります。

さながら、阿鼻叫喚の地獄絵図。

 

 

さて、時をさかのぼること少し前、平維盛率いる平家軍、

倶利伽羅峠に陣を敷き、来る義仲軍との戦いに向け、休息を取っておりました。

 

(平家の兵)「今宵はゆっくり休んで明日の戦に備えようではないか」

 

すっかり油断していた平家軍。

しかし、義仲軍はこっそりと部隊を複数に分け、夜にまぎれて平家軍を包囲

していたのであります。

 

 

「ドドン、ドドン(太鼓の音) プオォー(法螺貝の音)」

 

寝ぼけ眼の平家軍に突如襲いかかる義仲軍。

 

さらに義仲。

ひそかに集めていた牛の角に松明をくくりつけ、これに火を放ち、

平家軍に向かわせるという、あっと驚く作戦を実行したのであります。

 

「モー、モー(荒れ狂う牛の鳴き声) ドカッドカッドカッ(牛の足音)」

「うわー、なんだこりゃー、ぐぇーーー(平家軍の叫び)」

「モー、モー(荒れ狂う牛の鳴き声) ぼうっ、ぼうっ(松明の燃える音)」

 

大混乱に陥る平家軍。

 

 

「うわぁー、ぐゎー、ゴロゴロゴロゴロー(平家軍、断末魔の様子)」

 

平家軍七万騎は義仲の奇襲作戦『火牛の計』により、あわれ、

そのほとんどが倶利伽羅峠の谷底へと落ちていったのでございます。

 

「うおーうおー(義仲軍の勝鬨)」

 

平家の大軍を撃ち破り、異様な興奮状態の義仲軍。

 

「ドンドコ ドンドコ ドンドコ ドンドコ(源氏太鼓の音)」

 

地元、越中武士団の蟹谷次郎(かんだのじろう)たちは勝利を祝い、

太鼓を乱打しております。

 

「ドンドコ ドンドコ ドンドコ ドンドコ(源氏太鼓の音)」

 

その太鼓の音は、遥か遠くまで響きわたったそうであります。

 

 

さて、場面は冒頭に戻り、峠の上から谷底を見て不敵な笑みを浮かべる木曾義仲。

そのそばにいたのがあの有名な女武者、巴御前。

 

「ああ、義仲様(巴、心の声)」

 

声には出さず義仲に呼び掛ける巴。

義仲の顔を松明の明かりが赤く染め、影が揺れ動く。

その時、巴の心に得体の知れない恐怖がわき起こったのであります。

 

あの心優しき駒王丸はもういない……。

修羅の道を歩み出した義仲。

炎を見つめる義仲の背中。

それは巴にとってかつてないほど冷たく、そして大きいものでありました。

 

< 終わり >

ラジオ紙芝居 スタッフ 10:36 AM

番組放送しています!

4月より「ラジオ紙芝居~木曾義仲と巴御前の生涯~」の放送が始まりました!

 

 

平安時代末期の源平合戦で活躍した武将・木曾義仲と巴御前について
皆さんにもっと知ってもらいたい!という思いで番組を立ち上げました。

 

皆さんは、木曾義仲(源義仲)・巴御前の2人についてご存知ですか?

 

倶利伽羅峠の戦いで活躍した人だよね!

牛の角に火のついたタイマツをくくりつけて戦った人だよね!

名前だけ聞いたことはあるけど・・・

 

ピンとくる方もいらっしゃれば、そうでない方も多いはず。

この「ラジオ紙芝居~木曾義仲と巴御前の生涯~」の番組では
木曾義仲・巴御前関する史実や物語について紙芝居形式にお話を作って
ラジオで紹介していきます。

 

ラジオなのに紙芝居??

ラジオは音だけのメディアなのに、紙芝居!?

 

というツッコミをいただきそうですが、紙芝居調にわかりやすくお話を紹介し
親しみながら木曾義仲巴御前について知っていただきたい!

という思いです。

 

だた、せっかくお話を作るのだから・・・ 紙芝居の絵も作ろう!
ということで、絵も制作することになりました!

 

番組放送後に、YouTubeにて紙芝居の絵とラジオで放送したお話を
あわせて楽しんでいただける動画を公開し、
放送はもちろん、放送後もお楽しみいただけるようにします!

 

 

ブログの立ち上がりに時間を要してしまい、
初回のブログ更新は放送後となってしまいましたが
今後はこまめにこのブログを更新していきます。

 

木曾義仲と巴御前についてさらに知ってもらい
富山が盛り上がっていけばいいなと考えております。

 

今後の放送も、是非お楽しみに!

 

番組P

ラジオ紙芝居 スタッフ 10:12 AM